スクールMARIKOで会津の方をお迎えしたときなど、「会津と松江にはちょっとしたご縁があって...」とお話ししたいと思うのですが、そんな時には大概ど忘れして話が進まず、もどかしい思いをしています。
というわけで会津と松江のご縁話、備忘録としてこちらに書いておこうと思います。
それは2015年秋のイベント「松江ルネッサンス」でのこと。
この日の演目は我が日直・浜田真理子さんのミニコンサート、国宝松江城をつくった堀尾吉晴について作家・中村彰彦さんのお話し会、そして歌声喫茶(!)という盛沢山な内容でした。
真理子さんのライブのあと中村彰彦さんのご登壇。
堀尾氏のことに触れる前に、中村さんはこんな話をしてくださいました。
「実は会津と松江は江戸時代に交流がありました。」
「1800年頃の話ですが、会津の藩政改革をおこなっていた家老・田中三郎兵衛・玄宰(はるなか)の命により会津の使者が朝鮮人参の種を求めに松江に来ています。その購入資金は200両(!)。これを全部種を買うお金に充てよと。」
200両は現在の価値としては1200万~2000万円相当でしょうか。ともかく大金です。
「会津のどの土地に種がつくかわからない。少しだけ求めて全部枯れてしまったら無益なので、買えるだけ買ってきなさい。その種を会津五郡に播き、結果を見ましょうと。」
「その後栽培に成功し、藩の財政立て直しに貢献、また朝鮮人参の飴や天ぷらは名産品となりました。」
1800年頃と言えば、松平不昧公も藩政の立て直しに成功、それには朝鮮人参の存在が大きかったと言われています。
当時の朝鮮人参の価格は1斤(600グラム)で3両3分。現在なら20~30数万円と高額です。
田中玄宰はこの換金性の高さに目をつけた、ということです。また松江の人参方のような専売所モデルを見習い、会津でも藩の専売とし収入を確かなものとしました。
田中氏は会津ではとても有名な方のようで、(「玄宰」で検索すると会津の吟醸酒がヒットします。あやかって命名されたんですね。)司法改革や、清酒、織物、漆、漆器そして今回の朝鮮人参など地場産業を育て57万両にも及ぶ藩の借金を完済したとか。
今回こちらを書くにあたり田中玄宰氏のことをWebや書籍を探してみましたが地域の観光関係が多く、あとは中村さんの小説があるという感じでした。ビジネス書の主人公にもなりそうな方だけど意外と無いものだなあと思っていたところ当の中村さん、今月新しく書籍を出されました。しかもビジネス書。
『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』
帯のコピーは「藩窮乏の危機から一大飛躍!/上杉鷹山を凌駕する改革者がいた」
上杉鷹山の名前を聞くと反応される方も多いのではないでしょうか。その鷹山を凌駕するって!
気になる方は地元の本屋さんやWebショップでチェックしてみてください。
ビジネス書として、または小説の副読本として読んでみられるのも良いかと思います。
(小説の取材ノートを公開、という見方もあるかもです)
これを機に田中玄宰さんがもっと知られるようになるといいですね。
『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』(PHP新書)
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-82679-0
小説はこちら
『花ならば花さかん』(PHP文芸文庫)
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76097-1
さて、いよいよ明日20日(土)はスクールMARIKO第4回「廃炉から考える未来」です。
タイから戻られたばかりの、都城工業高等専門学校の吉井千周先生をお迎えして廃炉カリキュラムその他の話をうかがいます。
週末の予定がまだ決まっていない方、カラコロ工房地下大金庫室へ、ぜひ!
皆様のお越しをスタッフ一同お待ちしています。
スタッフわかつき